2016年12月30日金曜日

深夜百太郎 出口 感想

 舞城王太郎の「深夜百太郎 出口」を彼女から借りて読んだ。九十太郎以降はこれまで2~3ページで終わっていたのに突然長くなって4ページ以上になったりしたり、九十九太郎で久し振りに九十九の羅列を目撃したりした。九十八太郎の「寝ずの番」とかは多様な車という現代性の象徴と、百鬼とも呼べる妖怪の群れがこの人の作品らしい動きを伴ってぶつかり合うような感じであった。しかし、俺は「入口」の方が好きであった。
 「出口」の中で好きな作品は、俺が「入口」の感想で触れていた「終わり」についての物語に対する回答のような六十太郎の「僕の中の鏡」であった。描写は「車の河」のように抽象的ではないが、謎の少女から語られる「まあ≪終わり≫なんて別にどうでもいいっちゃどうでもいいから」という台詞が、終わりに関する全てを表していた。
 また、九十五太郎の「あぶり出しメール」では、久しぶりにこの作者の書く会話劇といったらこんな感じ、というやり取りを目撃した気がする。多くのこの作者の作品で共通する要素の1つであるが、大体の会話劇で「ぐだぐだ無理矢理相手を逆なでするような子供じみた理屈をぶつけあって結局会話上で無理矢理和解しない感じ」が描かれるのだが、この短編はほぼそれだけが構成要素となっていた。この作者が会話劇で描く「分かり合えない感じ」については、特に女性を話者として描いている際の描写が好きである。そこに現代性を感じる。まあ10年以上前からこんな感じなので、今は新しい現代性が別にあるのかもしれない。

2016年12月18日日曜日

FF XV 感想

 まだ隠しダンジョンが2つぐらい残っているらしいが、先日件のを倒してタッカに報告しに行った段階でトロコンを達成し、もうとりあえずいいかという気分になったので感想を書くことにした。
 単刀直入に感想について言及しておくと、まあ普通に良いゲーム、ぐらいの評価が妥当なんじゃないかと思う。この作品の実質的な課題になっているようなオープンワールド化については、別にGTAほどの自由度は存在しなかったが、それでもFFにとって新しい取り組みとしては全然面白い部類である。大半の人々は普通に何十時間もやれるのではないだろうか。
 また、このゲームに関する賛否両論の「否」の方の意見として、「ホストみたいなキャラクターが受け付けられない」、「キャラクターの設定・性格が気に食わない」といった見解が検索すると散見されるが、個人的には別にそこまででも、という程度でしかなかった。俺はBrotherhoodも観たし、その後気になったのでKINGSGLAVEもPS Storeで400円ぐらいで借りて観たが、最後まで進んでもメインキャラクターの4人は「嫌い」にはならなかった。むしろ全員に対して好感を抱いたぐらいである。
 特にノクティスやプロンプトについては声質や発言内容から考えて、(特に日本では)まず万人受けしないとは思う。ノクティスは何回も「だるいなー」と言い、プロンプトは何回も「焼肉食べたい」とか言う。ノクティスは「~だわ」という言葉遣いをずっと一貫してやり続ける。それらは「最近の若者のイメージ」の悪い部分だけ悪意でピックアップして伸ばしたような感じなのだが、あくまでイメージなので、実際の「最近の若者」はあんな感じではない。むしろイグニスから覇気や元気など更に抜いた感じが、実際の「最近の若者」だと思う。その意味で、キャラクター設定に関わった人間自体は「最近の若者」ではなく、それを「最近の若者のイメージ」で、どうにか作為的に描こうとしている人間たちなんだろうと思う。
 しかし、別に俺はこいつらを結局嫌いにならなかった。理由を言語化するのが難しいのだが、別にこいつらはこいつらで最初から最後までこんな感じだったので、ある意味俺にとっては一貫していたからだと思われる。
 他方で、(この点も世間で散見される意見だが)、他の「否」の点に触れると、9章以降の物語の描き方については、明確にこのゲームにとって穴と言えるようなものであった。この点も手短に最も大きな理由だけ述べれば、第1に帝国を仇敵として戦わなかったことが指摘できる。あれだけKINGSGLAVEと物語冒頭で主人公側と帝国との対立構造を描いたものの、9章以降で仇敵だった帝国は勝手に自滅しており、主人公側は別の存在と戦うことになる。その結果、スクウェアエニックスがこのゲームのために多面的に積み重ねてプレイヤーに抱かせてきた、物語の一貫性に関するイメージを自分で台無しにしてしまい、プレイヤー側には敵側と戦う理由が弱く、不明瞭に見えてしまう。勝手に自滅した帝国は奪ったクリスタルとか主人公の領地とかも悪用している描写が全く描かれず、対立する相手方から、新たな敵による被害者に倒置されてしまった。
 第2に、新たな敵に悪としての魅力が無い。簡単に言うと、有無を言わさずに主人公側を殺すのではなく、ちゃんと育った主人公側を復讐のために殺すというのが動機なのだが、これが本当に回りくどいので、全然対立する相手側と捉えることができない。ちゃんとKINGSGLAVEなどを観て予習したプレイヤーであればあるほど、あの(「元」敵だった)帝国側の、有無を言わさない悪性が目に付いてしまう。「新」敵の悪さは、単に世界を夜だけにしたということと、シガイを増やした、という「結果」だけ突然示されており、その過程は全然描かれておらず、悪へ至る描写が薄い。本来ストレートに描くところを無理矢理ぐにゃぐにゃした描写で「最近の物語ってこういう感じ」にしたような形になってしまっている。他の部分が普通に面白いゲームになっているだけに、これらの物語としての欠点が目に付いてしょうがない。
 スクウェアエニックスには物語を王道で描ける人材が居ないのか、それとも企業内に物語を無理矢理ぐにゃぐにゃにした方が最近は受けるとか勘違いしている人が居るのか、原因は不明である。FFXVの物語については、上記の通り個人的には擁護不可能で、明確にこのゲームの価値を損なっていると思う。FFシリーズの物語を自らの手で台無しにする流れは、残念ながら結局今作でも終わっているとは言えず、今後のシリーズに期待するしかない。