2014年6月30日月曜日

今からMHFを始めた効率を重視される方々がG級まで進むために

 最近あまりにモンハンの記事を書いてないので、そろそろハンターライフコースが切れそうで、やっぱり最近MH4の方が久しぶりにやったら面白いとか思っていたこのブログの筆者が、「2014年6月30日現在、効率を重視する人々が、MHFをゼロからインストールしてG級まで行く非常に簡単なチャート」を作成することにした。MHFは「モンスターハンター2系」をアップデートという名目でつぎはぎして騙し騙・・・ゴホンッッ!!ゲフンッ!!・・・「改善」しながらやってきたゲームなので、ネットで検索しても新生FF14とかと違って初心者が取るべき行動順序みたいなのが古い情報が混合されていて分かりにくい。そこで、今回は簡単に2014年6月30日現在に初心者が始めて効率的にプレイするためにやるべきことを書いておく。以下の記述は最低限に絞った内容なので、楽しむことはそっちのけで無駄を省いたゲームを効率的に進めるという、だったら人生を効率的にしろよという素晴らしい人向けの内容である。無駄な作業をしたくないこのようなタイプの素晴らしい人に最初に言っておくと、バケツテンプレとか昔の無駄なテンプレ装備を作るな。SR帯に無駄に留まるな。留まりたいならSRサブを作れ。さっさとエントラ一式を作ってナビに従ってグレンGF珠を詰めろ。ということである。
 今のMHFには非課金かつ一式で無駄な時間を使わずに使える装備が用意されている。ものすごく簡単に書くと、ククボ→HR100突破→鬼神→SR999突破→エントラで、十分今のMHFはG級までやれる。エントラの次にやっと工夫が必要になるぐらいである。鬼神は飛ばしても良い。鬼神の辺りで頑張って覇種5点装備+覇種武器とか揃えても良いが、頑張って組み合わせた覇種5点装備より、エントラ一式にハンターナビで手に入れたグレン珠10個詰めて適当にレベルを上げたG級武器(主にトンファー)を振り回す方が簡単で強い。

1.HR0~100
 まずこのゲームを始めて最初にするべきことは、ククボ装備作成である。一式でも良いし、一式という形式が絶対に許せないという、目的と手段が倒置している議論に惑わされている人はゴゴ装備と組み合わせてゴゴククボにしても良い。そんなもん作らなくても十分やれるので無駄で、「俺なんとなく工夫してるから他の人に比べてちゃんとやってる」という錯覚を味わえるだけだが。
 ククボ装備が適当に揃ってきたら、「家具屋とドクドク怪鳥」のクエストを適当に回し、剛力珠を集め、適当にククボに詰める。これでHR100までの装備作りは大体終了である。あとは適当に使いたい武器を作って振り回していればHR100になる。

2.HR100~SR999
 SP武器を適当に強化した後、剛種を倒して剛種武器を2段階目まで強化する。または、機械みたいな「MH2系」のラージャンとティガレックスが苦痛でなければ、鬼神一式を揃える。これはどちらが先になっても良い。何なら鬼神一式もそろえなくて良い。SP武器はⅦまで強化しないと持って来ちゃダメとか昔は言われていたが、はっきり言ってどうせ使い捨てるのでこだわるだけそんなに意味がない。あくまで剛種武器を手に入れる手段に過ぎないので、何なら元気のみなもとを多用したパワープレイで証を集めまくってさっさと剛種武器を手に入れても良い。なお、剛種武器はゼルレウス素材のものが優遇されていてそんなに強くないので、とりあえず欲しい場合はゼルレウス武器を手に入れる。
 また、この辺りから昔の秘伝絶対主義の蔓延の影響で、秘伝装備も必要とか、ネットに残存した昔のMHFの記事を読み、古い考えに取りつかれる人も居るが、別に紙集めもやりたくなかったらやらなくて良い。どうせG級で秘伝防具をそのまま使ったりしない。珠に製錬するという謎の行為の目的の方が今は主流である。紙集めもG武器を振り回して1人で優先依頼をこなした方が効率は良くなる。
 後は鬼神一式にHR帯で作った剛力珠等を詰め、剛種武器を振り回す。振り回す相手は通称「たっぷりクエスト」で、毎週末に配信されるHRP・SRPを大量に獲得できるクエストである。別にやりたかったら覇種とか相手に振り回してちゃんと覇種武器とか作っても良い。そんなに意味があるわけではないが。飽きてきたら使っている武器種に応じて嵐の型を取ったりする。武器種によっては無駄。マイミッションとかいう作業も1人でG武器を振り回した方が良い。
 そんな輝かしい日々を過ごしていると、すぐにSR999になり、シャンティエンの緊急クエストを受けることになる。「G昇格シャンティエンココ!」とか全チャで打っても良いが、みなもとを使ってのパワープレイでも可。

3.G級以後

 ハンターナビに従ってエントラ一式を作成、みなもとを使ってG級グレンぜブルを狩猟し、グレンGF珠を精錬、なぜかただでいっぱいもらえるので合計10個手に入れることができる。それをエントラに詰めて適当な極征とかいう時間稼ぎコンテンツに行って、石やら紙やらを手に入れてGX7まで強化。大体防御力が1900ぐらいになるので、まあそれを着てG武器強化のための連戦オンラインが続いて、もう飽きたとかカプコンが悪いとか(主にインターネット上で)のたまう日々が続いていく。

 というわけで、上記の内容はMHFを早く飽きるための方法である。是非「効率的じゃないと絶対に許せない」という、効率的で合理的で、誰もが羨むような人生を歩んでいる人々には薦めたい。そんな方々に更に薦めたいのは効率的な寄生や、課金装備の入手や、狩人応援コース(狩りコ)である。上記した1~3みたいな無駄なことは、課金と狩りコがあれば無視できる。そして、そんな効率的な人格者であられる方々に薦める、次にやるべきことは、もうモンハンも無駄だしわざわざやらなくて良いと思うので、MHFをアンインストールして、より効率的な金儲けの手段や結婚する方法でも考えることだろうか。是非更なる効率を追求して欲しいばかりである。
 

2014年6月14日土曜日

女のいない男たち 感想

 村上春樹の「女のいない男たち」という短編集を彼女から借りて読んだ。俺は最近、というかアメリカに行く前から5年ぐらいに渡って短編が気楽に読めて好きである。そういう意味では丁度良い短編集だった。寝る前から寝るまでで1つの作品を読めるサイズなので、この短編集だと6日は持つ。
 この短編集で俺が一番好きなのは一番最初の「ドライブ・マイ・カー」で、一番嫌いだったのは「独立器官」だった。それぞれ理由を記すと、まず「ドライブ・マイ・カー」は、本書の主題である「女がいない男たち」を一番良く書けていた作品だったと思う。この短編集では付き合っているor結婚している女性が他の男性と肉体関係にある状況が必ず登場し、寝取られた側の心理描写がされるわけだが、この寝取られた側の心理描写が一番克明に描かれたものが「ドライブ・マイ・カー」だったと思う。
 寝取られた側の心理描写にとって、一番大切なことは「他の男と肉体関係を結ぶ意思を持った妻・恋人の本心の全てを、判明させること(理解すること)はできない」という点である。まず当人の妻に(「社会通念上」は)直接聞くことはできないし、ここで何とか聞いたとしても、それが本心か、本当の理由なのかを確かめる術は、寝取られた側には確実に存在しない。これは、仮に寝取られた側が軍人か諜報員で、他の男と肉体関係を結ぶに至った妻を徹底的な拷問にかけ、死ぬまで他の男と寝た理由を拷問によって吐かせ続けたとしても、絶対に分からないという確信が、このブログの筆者にはある。それは、結局のところ男と女の関係というものが、他人と他人の関係だ、という非常に単純な事情によるものだ。
 この点は面白いのだが、男と女が何かしらの強い関係性を結ぶと、あたかも男の側、あるいは女の側は、もう一方の側に「同一性」みたいなものを、必ず感じることになる。相手側が自分と同じ心情を持っている、同じ感情を持っている、同じ方向性を向いている、ということへの疑いが、(程度の差はあれ)薄くなる。つまり、「他人と他人の関係である」という、人間関係の基本的な土台への認識が、肉体関係、婚姻関係、恋愛関係という「同一性」を感じさせる人生における状況によって、虚飾されてしまうのだ。
 その結果、寝取られた側は「他人と他人の関係」という、人間がどうやっても乗り越えられない了解の壁みたいな前提を認識するのが難しくなり、「なぜ(自分と同じことを了解しているはずの)こいつが」という、本質的に解決不能な問題を、あたかも解決可能である問題であるかのように錯覚してしまうのだ。「ドライブ・マイ・カー」の中で、高槻という、主人公が月並みな男と看做している寝取った側が、「他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です」という、極めて本質的な点を(非常に月並みな台詞で)述べているが、この点に関しては高槻という寝取った側の「他人」の見解が圧倒的に正しいと思う。その点を言葉にして描けている点で、「ドライブ・マイ・カー」という作品は、「女のいない男たち」という短編集にとって不可欠で、確実に最初の一篇として収められなければならなかった作品だったと思う。
 次に、「独立器官」を俺が嫌いな理由だが、それは、この短編集の作者が、いつかこのブログの筆者が述べたように、馬鹿を描けないからである。この「独立器官」について言えば、渡会という、「女性と遊んではいるが本当の恋と愛を知らない男」という、時々登場する海外の恋愛映画の主人公みたいな男=馬鹿の存在が、かなり無理をして作為的に作られた、という点を払拭できていないと思う。確かに、上で述べた「他の男と肉体関係を結ぶ意思を持った妻・恋人の本心の全てを、判明させること(理解すること)はできない」という点は描写されていた。上で述べた男女関係に潜む「同一性」の問題もほのめかされていた。しかし、「独立器官」では、このような問題を描く前提として、主要登場人物である渡会という人物の馬鹿っぽさを利用しているので、自然に馬鹿を描けない作者としては、かなり無理をして、条件設定をするはめになったと思う。例えば、①教養(分別)があり、②医者という肩書を持ち、③これまで交際する女性に不足したことがなく(笑)、④52歳にもなるのに部下のゲイに「アフターアワーズに女性と交際する」ことを管理させる(笑)、⑤結婚するつもりがない男の存在を、その男が「本当の恋(愛)に落ちる」前提とする作業をしている。せめて20代で、医者という肩書も持っていないし、部下もいないし、ジムにも通っていないし、部下がゲイじゃないし、「アフターアワーズに女性と交際する」ことを管理していない男にしてくれ、と思う。
 これに加えて、途中まで聞き手の作家はこの男が上で述べた「同一性」の問題から、なぜか他の女と恋愛する問題が「自分探し」の問題にすり替えられてこの馬鹿から語られる様を滑稽であるかのように受け取っているくせに、最終的には「独立器官」という、この馬鹿がやっと話した中身のある話を使って、「自分がなにものであるか」、というピント外れの問題を馬鹿が抱えていたことに聞き手が納得しているような描写も、無理があると思う。
 もっとも、ここで書いた「ピント外れの問題」を、(やや作為的にではあれ)読者に理解させる一篇としては、成功しているのかもしれない。短編の本質的な中身ではなく、「私とはいったいなにものなのだろう」という一文に、傍点を打つという形式的な作業によって。