2012年9月27日木曜日

煙か土か食い物 Smoke, Soil, or Sacrifices 感想

 舞城王太郎の『煙か土か食い物』の感想を書こうと思う。実は最近読んだ彼(彼女)の作品は『短編五芒星』だったので、キング等と同じく読んで書きたくなったら書こうと思っていたのだが、一応思い入れがちらっとある作家なので、まずは『煙か土か食い物』からである。
 思い入れがあると言っても彼(彼女)も所謂「異端者」というか「困った人」だろうし、この人(彼か彼女)を人として我々が尊敬する必要もないのかもなと思う。最初の感想なのでいつも通り大枠の部分を述べておくと、彼(彼女)は「俺たちは駄目で駄目で駄目で駄目で駄目な奴らなんです許して下さい」ということをにこにこしながらあらゆる作品で表現している・・・と思う。そして「スマートな理由があれば、その類の『駄目』は許されるどころか、あたかも正当なものであるかのように感じさせることができるし、そう感じるのは俺じゃなくて読んでいるお前らのせいなんだよ」ということを自覚的・意図的に、もっと新聞や週刊誌が使いそうな言葉を遣えば「確信犯的」に行い続けている。彼(彼女)は、「物語」は突き詰めれば「面白い」ことが全てだということをよく理解していると思う。だから「物語」さえあれば良いのだ。「舞城王太郎」は作家ではなく「記号」であり、作家の存在は物語が提供された段階で役割を終えるし、どうでも良いのだ、せいぜい俺が男か女か一生懸命足りない脳みそでも働かせてろクソどもが」、と思っていたらまだ「良い方」である。それすら面白半分で面白いということを分かった上でやっているのかもしれない。
 さて、感想に入る前にいつも通り簡単な物語の筋を書いておくと、アメリカのERで働いている超絶不眠症リッパー奈津川四郎が、母親がぶん殴られて庭に埋められてニアデス状態だということで故郷の福井県西暁町(キャッスルロックみたいなもん※今回は(モデルが)実在します)に帰って彼の兄弟であるジェット・リーキックの使い手である県議会議員の一郎、屑日本代表の三郎と会ってストリートファイトをしたり、一郎の妻の理保子と不倫ファックをしたり、兄の天才暴君二郎を思慕したり、馬鹿暴君の父親丸雄が出てきたり、いろいろしながら母親を埋めたクソ野郎をぶっ殺すために戦う話・・・である。つまり(どう見ても)18禁です。自分が「駄目で駄目で駄目で駄目で駄目な奴らの一員なんです許してください」と胸を張って言える未成年者は読んでもいいと思う。俺も未成年の時に彼女から借りてこの本を読んだのだ。つまり俺は「駄目で駄目で駄目で駄目で駄目な奴らの一員なんです許してください」。
 肝心の感想であるが、この作品はただ単に「面白い」作品である。講談社ノベルスの棚で隣にちゃんとしたミステリ作品があって、この作品の中で一見ちゃんとした推理が展開されていたとしても、この作品はミステリの分野ではなく、ただ単に「面白い」分野としか言いようがない作品である。舞城王太郎のほぼ全作品に共通して言えることなのだが、この人の作品においては、推理や謎解きはそれ自体が物語中の話のネタみたいなもので、本当はあろうがなかろうが作者としてはどうでも良いし、本質部分ではないのである。主人公が謎を解こうが解くまいが、カタルシスもカタストロフも無関係にやってくるのだ。砂浜で波が来る場所に殺人マシンの設計図を書いているようなものである。この作品をカテゴライズするとすれば、「人間偏執型ミステリ」としか言えない。つまり推理の奇抜さや謎の奥深さなど、そもそも舞城王太郎は信頼していない。彼にとって必要なのはどこまで行っても「物語」であり人間なのである。『煙か土か食い物』に必要であったのはNear Death Experienceの実験というロジックではなく、四郎であり、二郎であり、丸雄であり、「人間」なのだ。ちゃんとしたミステリが読みたい人は駅の売店にでも行ってそこらの適当な本を買えば良いし、「俺は素晴らしい奴らの一員だ絶対に許さない」という人はこの本ではなく文中で登場するダンテの『神曲』でも読めば良いと思う。もっとも残念なことに俺の観点からすればダンテも程良く「駄目な奴ら」の一員なのだが。

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