2012年8月12日日曜日

帰りの機内で観た映画の感想

実は何も書いてないがもう日本に帰って来た。日本は素晴らしい。料理が安くて美味い。帰りの飛行機でモンハンもしたが2本映画を観たので感想を書いておこうと思う。

1.スタンド・バイ・ミー

 世間的にはグリーン・マイルと並んで「スティーヴン・キングと言えばこの映画」とされている作品。少なくともクージョやミストやミザリーよりは誰か他の人と観に行ってもいい映画だと思う。このブログとしては今まで散々キングの作品の感想を書いてきたわけなので、この「恐怖の四季」にゴールデン・ボーイ(元ナチのおっさんを従属させてホームレス狩りをする作品)などの面白い短編と共に収められている作品の感想を別個に書くべきかと思うのだが、まあ世間的にはスタンド・バイ・ミーは映画であって小説の(「死体」としての)認識は薄いかと思うので映画の感想を書いておこうと思う。ちなみになぜか日本語字幕も吹き替えもなかったので、俺は英語でこの映画を観ざるを得なかった。
 いつも通り適当にあらすじを書いておくと、キャッスル・ロックという、キングの作品を知っている人が「僕はキャッスル・ロックという田舎町で生まれた」とか聞くと、「何こいつ真面目に架空の町の話しちゃってんの?」とか思ってしまう町で育ったゴーディら、4人の少年達が行方不明となっていた人の死体を探しに行く・・・という話である。こんな話なのでキングは原作を「死体」と名付けている。
 本作の見どころは子どもたちのどうでもいい冒険と、その最中に暗示させる「映画を観ている良識的な大人の願い」とは相反するろくでもない彼らの未来である。この作品は表面的には(初代ポケモンの主人公の家のテレビで流されていた意図そのままに)「子どもたちが自らの力だけで冒険をする話」で、まともに話を知らない人は特徴的な歌と線路を子どもが歩いている情景として理解していると思う。しかし、実際の所は上記した「まだ他の人と観に行ってもいい映画」方面の価値をキングによって半ば意図的に壊された作品である。冒険は日常から遠ざかる意味での彼らと「映画を観ている良識的な大人の願い」の理想であり、冒険を浸食している、彼らがキャッスル・ロックで体験している迫りくるろくでもない大人としての自分たちの姿こそがこの物語の価値だと思う。
 とりわけ俺は4人の少年のリーダー格であったクリスこそが「アメリカの子どもたちの現実」を上手く体現したキャラクターとして位置づけられていたと思う。彼は有能で勇敢でどこまで行ってもリーダーなのだが、育った家庭は底辺中の底辺で、彼は(たとえゴーディより有能であっても)親友であるゴーディと共に進学コースに進むことはできない。彼にとって、この死体を探しに行くという冒険は、そういった「映画の中の大人たちが付きつけるろくでもない現実」から逃げるための手段であった。一見人間としてはテディという4人のうちの1人の少年の方が問題がありそうだが、設定上はクリスの方が悲劇的である。そしてこの設定こそが作者が付きつけたかった1つの「リアル」であり、「映画を観ている良識的な大人の願い」に対する確信犯的なアンチ・テーゼなのだ。普通の日本人がどこまで重くクリスの家庭背景を捉えるか分からないが、普通のアメリカ人にとっては多くの場合「重い」と思う。なぜならクリスのような状態で育った場合、多くの場合は(FFTの感想で用いた表現を使うと)出口なんて無くなるのだから。底辺は底辺を再生産し続けるのだから。彼は彼の物語として、キャッスル・ロックで延々酒と暴力と絶望にのたうちまわる生活を続けさせられるのだから。そして何よりそれを10代で理解させられてしまうのだから。だからこそ作者は大人になって(奇跡的に)ロースクールを卒業して弁護士となったクリスを無造作に殺害したのである。彼に出口を見つけられては困るのだ。
 この映画(というか物語)が素晴らしいのは、そういった後の現実をくどくど描かずに、彼らが行っている12歳という限られた時間限定の冒険に限定して彼らを描写している所だと思う。だからこそ、彼らの冒険にはかけがえのない理想が体現されていると思わせることができるし、彼らの将来にはどうしようもない現実が待ち構えていると思わせることができる。他のキング原作の糞映画にうんざりさせられた人が観るべき映画だったと思う。


2.塔の上のラプンツェル

 全然面白くなかった映画。一応この映画のあらすじを書いておくと、塔の上で永遠の若さと治癒を与える魔法の髪を持つ女の子が閉じ込められていて、よくある設定の男が偶然その塔に忍び込んで、一緒に塔の外へ彼女が見たいと言っていた祭りの行事みたいなものを見に行って、素晴らしい魔法の髪とご都合主義と悪役の接待プレーによってラブラブになって永遠幸せに暮らし続ける・・・という話である。
 観ながら「いつ切ろうか」と考えさせられた。ご都合主義の連続、相変わらずの気持ち悪いキャラデザイン、ありきたりな展開、何より(悪意があったとは言え)育ての親をぶっ殺した後に主人公達がラブラブな情景をすぐさま繰り広げるという完全に理解不能な描写を展開してくれた。子ども会や中学生同士のデートとかで観に行けば「外す」ことは無いかもしれない。残念ながら俺はその会は途中で「つまんねぇから帰るわ」と言って大人達をうんざりさせてしまうだろうし、デートの場合は俺が女だったら相手の男を「つまんねぇ奴・・・」とか思ってしまうだろうが。

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