2012年6月21日木曜日

NY州司法試験の受験資格を(今更)獲得した件について

実に去年の4月頃に出したForeign Evaluationから1年以上経過してだが、昨日BOLEから「お前は司法試験受けられるんで・・・へへ・・・すいませんね、遅くなりやして(※訳にはメールを送った奴に対する俺の願望が投影されています)」というメールが今更来たので今更司法試験を受けられることが確定した。
 何が心配だったかと言うと、LL.M.の学生は全員LL.M.を取得した事実が基本的に受験資格の要件に含まれているのだが、その事実を証明できるNYUの手続きが遅延しまくって書類提出締め切りの6月15日の2日前の6月13日になってやっと上記「へへ・・・すいませんね」と同様の内容のメールがNYUから俺に届いたことだ。「てめー舐めてんのか?」と思わず言いたくなるほどの事務スピードだがアメリカではこれが普通らしい。
 とりあえずこれで俺が7月24日と25日に(そんなに面白いわけではない)試験を受けることになってしまった。「届かなかったから無理だわ。ゴメンゴメン」みたいなメールが来てもしょうがないかなと思っていたのだが、そういう展開にはならないらしい。MPREは高校の時の全然勉強してなかった頃の時間が余りまくった模試並みに無駄な時間があったのだが、司法試験は無駄な待ち時間が無いといいと思う。

2012年6月14日木曜日

卒業と敗北と

LL.M. in International Legal Studiesの学位を獲得した。これでまた何年か後にやっぱりMBAも取ろうとか言い出さない限り俺はダブルマスターである。
 それと同時に首席で卒業するという俺の目標に対しては完全な敗北が決定した。いろいろ理由はあると思うのだが、俺の書く英語の文章などは他のAやA+を取りまくっている人々からすれまだまだ稚拙だということなのだろうと思う。NYUに来て明確に分かったことは英語にはまだまだ上の段階があるということである。俺の英語などは本当に使い物にならなかった。
 一応LL.M.はMaster of Lawで法学修士という意味なのだが、日本における法学修士とは性格が異なっている。日本の法学修士は学位取得要件として修士論文の提出が求められるがLL.M.にはその必要が無い。論文作成が学位の要件だったとしても、50ページを超える通常の修士論文とは量も質も劣るもので良い。学位の質としては問題はあるが、そもそもアメリカのLL.M.は俺のような社会経験の浅い小童をターゲットにしておらず、「海外で普通に働いているおじさん達が仕事を休んでちょっと勉強できる課程」を作るために設置されているので、専門職学位としての筋は通っている。
 それでは遊びまくっていても良い成績が得られるかと言えば、それは違う。アメリカのロースクールに共通することなのだが、成績判定は上が極端に狭く下が広い。イメージとしてはA+やAは数えられる程度しかおらず、あとは大体Bが付くイメージだ。これまで日本で普通に暮らしていた日本人が日本の大学と同様に「全A余裕」みたいな状態の成績表を作ろうとすれば、おそらく履修からテスト勉強から全てにおいて失敗が許されないと思う。しかもJ.D.の学生でない限り来年から頑張るといった巻き返しも無理なので一発勝負でもある。こう考えると上では逆のことを言ったが案外学位の質は担保されているのかもしれない。
 次はいよいよ博士だが、博士については取る場所から論文の中身から全てにおいてもう俺は決めているので最低な飛行機とガム女のせいで初日から不安を募らせた渡米生活とは真逆である。帰りの飛行機には子どもが乗っていないことを祈るばかりである。

2012年6月2日土曜日

論文を捨てる

今日部屋に布団のように敷き詰められていた俺が論文を書くために「消費」した論文を捨てた。実は日本からはアメリカの様子が分からなかったので念のためある程度論文を持って来ていたのだが、全く無意味だった。論文は全く問題なく読み放題だったからだ。
 というわけで、やはり消費する論文というのは論文を書く限られた時間で使うようにしないとたまっていく一方だなと思ったので全部捨てることにした。捨てながらこの1年ぐらい大変だったなと思った。思って当然なのだが、想像していたより俺は自ら大変になっていったと思う。いろいろ俺は馬鹿だったなと思うのだが、多分今自分が馬鹿だったなと思うことができるということは、俺の留学は俺にとって正しかったんだろうと思う。
 俺は彼女が暮らしている+焼き肉とラーメンが安く食べられる+モンハンが作られているという理由で日本が大好きなので、早く帰りたいと思う。どの道NY州司法試験に合格したとしてもその後何カ月か後にある宣誓式に出席するためのお金を出せるかどうかも分からないし、何も無ければ俺はさっさと日本に帰っているのだが、自分で決めた道なので最後まで付き合うしかない。