2011年10月30日日曜日

「TOEFLも終わったし帰るか・・・」→「ぬわーーーーっっ!!」

 昨日TOEFLを受験した。結構スコア自体はどうでもいいのだが、俺ルールとして何やってても英語の公的な試験は最低年1回は受けるというものを勝手に作ったので、ブルックリンまで行って受験してきた。朝は雨がちょっと降っていたが、まあそんなに気にするほどでもないしなと思って普通にパーカーを着て外出した。しかし、TOEFLが終わって外に出てみると、外は吹雪になっていた。
 「おいおい・・・マジか・・・」とつぶやいてしまった。かなり激しいぼた雪が風でガンガン吹き荒れていて(非常事態宣言が出ていたらしい・・・)、これちょっと死ぬ思いをするかもしれない・・・と思って覚悟を決めてパーカーのフードみたいなのを頭に被って吹雪の中地下鉄の駅まで向かうことにした。
 半端ない雪の量だった。変に水分が雪の中に含まれているので、背負っていたリュックもパーカーもすぐにびしょびしょになった。「ふうううっふうううんっ」とか声にならない音を鼻や口から出しながら地下鉄の入り口まで向かった。寒すぎて歯はがちがち鳴っている。地下鉄の構内は暖かい記憶があったので、早くそこまで行きたいと思った。
 やっと辿り着いた地下鉄の入り口には、KEEP OUTと書かれたテープが貼られ、階段にはパイロンが置かれているのが目に入った。「・・・ぬわーーーーっっ!!」と心の中で絶叫した・・・。

2011年10月29日土曜日

GLOW BALL の感想

 実は俺はIFDの書類を出すことで頭がいっぱいだったので直前まで忘れていた(IFDの書類も終わったし、ペプシでも飲みながら「早く準備しろやボケッ」「罠とか使ってんじゃねーよつまんなくなるだろがアホッ」「出たよW属性が」とかプロハンみたいな悪態を(心の中で)つきながらモンハンをしようと思っていた)のだが、NYUでGLOW BALLなる、ロースクールの生徒達が乱痴気騒・・・「仮装ダンスパーティー」をするイベントが不謹慎・・・「ロースクール生主体の企画」としてVanderbilt Hallといういつも授業が行われている場所で開催されるということを思い出したので行ってみた。
 俺は全然コスプレやら踊ることには関心が(もちろん)無いが、アメリカに行ったら一度はこういう「学生が馬鹿騒ぎをしている場面」とかを見ておきたいと思っていた。日本のクラブとかフルブライト奨学生の集まりだとダメなのだ。「学生」が主体になって馬鹿をやるという点がポイントだ。なぜなら多分こういうのを見ておかないと、キングの「キャリー」のダンスパーティーの場面とか、なんであんなにアメリカの学生にとって重要なのか理解できないと思っていたからだ。
 感想だが、俺の想像以上に皆「真面目に」コスプレしてきていてびっくりした。こういうイベントは本当にアメリカの学生にとって重要らしい。偽マリオ、偽ルイージ、偽オバマ達が大音量で音楽がかかったダンスフロアと化した講堂で踊り狂っていた。俺は黒人の妖精さんやリンクに話しかけられたりして「ああ・・・うん」みたいな返事をした記憶がある。俺は日本の就活生のコスプレ(すいません嘘です準備してないだけです)をして行ったのだが俺みたいな適当な格好している人間の方が少数派であった・・・。NYUのロースクールに来る人はコスプレの本場日本でユクモノ装備一式とか作って持って行った方が良い。

2011年10月28日金曜日

まず一匹目(International Finance and Development Fellowship Program)

まず5本のうちの一本目となるIFD(International Finance and Development Fellowship Program)に書類を提出した。
このプログラムは対象となる派遣先が世銀などの法といっても経済や開発に近い機関になっているものだ。一応6つほど派遣先があるが、もちろんこの中で俺が狙うのはローマのInternational Development Law Organization (IDLO)ただ1つである。なぜならここでやっていることが(違う機関であっても)おそらく俺が将来飯を食うためにやっていくことの中身になる可能性が高いからだ。NYUのキャリアカウンセリングのおばさんが言っていた通り、実際この機関と俺のバックグラウンドと関心はかなりフィットする。
 しかし、ここがNYUという、US Newsでアメリカで最強と評されている国際法のプログラムがある場所なので話は別である。特にILSには以前言った通り既にPh.D.を持っている奴や国際機関で働いた経験を持つ奴がいっぱい居て、俺など完全に小童なので、そいつらを凌がないとこれに勝つことは難しい。俺はレジュメのHonorsにTransitional Justice ScholarとFulbright Scholarship Programを書けるのだが、カウンセリングのおばさんは「で?これがデフォでしょ?」みたいな感じの反応だったので結構厳しい戦いになると思う。

2011年10月24日月曜日

論文3本(実質5本だよこの野郎)

 珍しくまともに勉強してますよという感じの話をするが、日本を出る前とサマースクール中に急いで書いたので全然期待していなかったが日本の学会誌に提出した査読付き論文を修正すれば採用されることになったので修正することになった・・・。
 これに加えてInternational Criminal Law Seminar と Transitional Justice のコースに出す論文も書かないといけないし、卒業後のNYUのIFDとILHRのFellowship用にも文章を書かないといけなくなった・・・。とりあえず今から年末までに5本の文章作成という今までの人生の中で最も短い時間で最も多い量の文章を書くことになった。むかつくのでNYU学内のコース用論文は学内誌に投稿できるような奴にして「この時期に俺は3本ぐらい履歴書に書けるような論文を書いた」っていう事実を作ってやろうと思う。いや・・・まあ期末テストもあるんだが・・・。人生VERY HARDモード継続中。

2011年10月23日日曜日

2011年10月22日段階でMHP3HDをアドパで比較的快適にやる方法

 アップデートされたという情報を入手したのでアドパに行ってみたが・・・絶望的なまでにフリーズする。俺に関して言えば普通にすると前より頻繁に(ほぼ90%の確率で3回以上同室でクエストに行けない)フリーズするようになった・・・。R2+△長押しで部屋から出られるようになったのは良いのだが、ときどき無理やりPS3の電源を落とさないと出られないような類のフリーズも存在する。
 こっちは息抜きでやってるのに全然息抜きにならないのが苛立たしかったので、いろいろ試行錯誤してみた結果、「HDのみで3人までメンバー構成して部屋をCloseにする」とものすごく安定することが分かった。HDのみでメンバー構成する方法も、3人でメンバー構成する方法も前から言われていたことではある。しかし、以前はHDのみだと4人で構成してもそこそこ安定していたのだが、現在では4人で構成すると結構な確率で上記のフリーズが発生してしまう(し、4人目が入った段階で1人目が「押し出される」というバグも結構な確率で起こる)ので、3人で部屋を構成することの有用性が比較的に高まったと言える。
 この方法を確実に実践するためには自らが率先してホストとして部屋を建てるか、建てられている部屋で自分がホストになるしかない。ただ、一応安定はするが、それは絶対ではないのが現状である。特にクエスト中のチャット、麻痺やガンランスの砲撃のエフェクト、凍土のベリオロス戦(なぜかベリオロスが寝に帰る高台自体がやばい)で止まりかけることがあったので、これらには注意しておく必要がある。まあ注意してもどうにもならないのだが・・・落石注意の道路標識みたいなものである。

2011年10月22日土曜日

New York・・・に慣れてきた(かも)

 散々まんまキングの小説に登場してくるニューヨークそのままだなという感じで過ごしていたのだが、2カ月ほど住むとなぜか慣れてきた。甘すぎるコーラ(「甘露!甘露!」)も、あまりおいしくないと思っていたマクドナルドも、誰が貼りつけまくっているのか分からないガムの跡(まじでまだニューヨークでガムを露骨に道路に吐きつけている人見たことないんだが・・・妖怪ガム吐きの仕業だと思う)も全然通じない時があってめんどくさくなる英語も、夜12時ぐらいに料理を作り始めたり、歌を歌い始めたり、突然声を出しながら唸りだしたりするインド人のおっさんも、別にこれはこれでいいんじゃないかと思い始めている。「住めば都」という奴である。
 まあ日本の方が全然良いんだけどな

2011年10月19日水曜日

New York で初めて酒を飲む

 今日は(わけわかんない人達と)酒を飲んだ。もっと話さないといけないことがあった気がするが、これで良かったんだという気もする。酒は社会における社交を促進するツールである。しかし、本来はこんな風に普段から俺達は自分の内面を他人にぶつけるべきなんだ、という再確認もさせる。「酒の力を借りて」というのは本当に真理を突く表現だ。俺たちはもっと話し合うべきだし、気持ち悪くても分かり合うべきだし、自分というものを他人に主張するべきだ。これが人間という生き物だし、そうやって俺たちや俺たちの祖先は生きてきた。酔っていようが素面だろうが、俺たちはそうやって生きていくしかない。自分は他人を負担するし、他人に自分を負担してもらうのだ。その繰り返しが生きるということである。

2011年10月16日日曜日

スペイン語にフランス語にアラビア語

 スペイン語とフランス語とアラビア語に共通するのは全部国連公用語になっていて、かつ俺が今後10年間の長いスパンで手に入れるべき言語能力である。特にスペイン語については、NYUに来た時に居た前年度のLL.M.生にも「あー結構フランス語が喋れたら良いって言うけど実はスペイン語が重要だよね」とか言われたし、最初のイントロダクションのころから周りには喋る人がいっぱい居たし、Granitoでも登場人物がスペイン語を喋りまくっていたし、極めつけはICTJのインターン先になっているオフィスで要される能力の1つとして挙げられている。という経緯で、なんとなく3つ目の言語はスペイン語にしようかなとか思い始めた。実は俺は大学1年のころ語学として履修していたのは中国語(なんとなく、という理由しかない)なのだが、あの頃に戻れるなら絶対フランス語かスペイン語をやっただろうなと思う。
 スペイン語を話す人口は世界で3番目に多いらしい。スペイン語に由来する日本語はチュパカブラらしい。これ日本語か・・・?とりあえず今は英語(mens rea とか erga omnes とか inter aliaとか non bis in idem とか prima facieとかやたら登場するラテン語含む)でやることばっかりなので、勉強みたいな感じじゃなくて趣味の1つみたいなスタンスでやっていこうと思う。

2011年10月9日日曜日

火災報知機クライシス in New York

 この国の火災報知機はものすごく頻繁に鳴る。まだ2カ月程度しか経っていないが既に7回程鳴って建物から強制退去させられた。アメリカに来るまでは5年間ほど火災報知機が鳴ったことが記憶にないので、アメリカでの2カ月でもう5年分以上の火災報知機が鳴る経験をしているらしい。
 火災報知機発動から強制退去まではもう1つのマニュアル作業にまでなっている。火災報知機発動→建物内に居る人々が(たとえ何階に居たとしても)非常階段のみを使って外に出る→建物を挟んだ道路に茫然と群れとなって立ち尽くす→消防車やパトカーがやって来る→火災報知機が鳴った原因究明作業に40分~1時間30分費やす→茫然と40分~1時間30分立ち尽くす→オーケー!!何も無いよ!!(毎回100%)→ぞろぞろと建物内に戻って終了である。
 この前のフルブライトのこまごまとした説明会(結局個別具体的なことは個別具体的に担当者に聞けっていうことを説明された素晴らしい会)では2度鳴って、1度目は冒頭、2度目は終わりで、1度目に鳴った時はワシントンパークで青空学級?となり9階から1階まで非常階段で下りて、くそ寒くて本当に残り15分ぐらいでわざわざ9階まで戻ったらまた鳴って再び非常階段で1階まで降りた・・・。あはは
 勘弁してほしい。別にグリニッジヴィレッジはそんなに治安の悪い地域でも無いし、上記した一連の流れに費やす手間は半分に縮減しても全く問題ないと思うのだが・・・・。この国はこの火災報知機以外にもセキュリティの厳しさでは間違いなく世界一(で漏れなく外国人を辟易させている)と思う。アメリカ人はアメリカ人でめんどくさい生活を送っているようだ。
 

2011年10月2日日曜日

「J.D.かと思ってた」

 タイトルは国際法の授業で隣に座っているナイジェリアから来た女の子の俺に対する台詞である。J.D.とは言っても別に俺がめちゃくちゃ英語がネイティブ並みにできるとか、勉強が死ぬほどできる様を評したものではなく、俺の見た目(日本人全般の見た目か・・・?)が子供っぽいのでJ.D.の学生と思われていたのだ。
 J.D.はLL.M.の学生に比べて平均年齢が低い。アメリカだとそのままストレートにJ.D.に来ると、大体日本で言う修士1年の年齢になるので、22~23歳ぐらいである。なのでJ.D.は実際のところ英語ができるぐらいで実質的にはLL.M.の学生に知識の点で負けていることもある。特にNYUのInternational Legal StudiesではLL.M.の方がまともなこと喋ってるんじゃないかという場面が多い。J.D.にICCのProsecution Unitで働いていた奴や既にPh.D.を取った奴が居る可能性は低いが、ここのLL.M.にはそんな奴らが結構いるのだ。しかも国際法の場合、英語になっただけでやってる内容は日本の法学部で教わる国際法と実質的に変わるわけではない。半面J.D.は通常ロースクール2年目ぐらいで人生で初めて国際法に触れる人も居る。Jose先生という結構面白い経歴を持つ国際法の先生もLL.M.がJ.D.の学生の自信を破壊してしまう可能性があるとか言っていた。
 というわけでこの「J.D.かと思ってた」という台詞は良い意味も悪い意味も両方含まれているだろう。俺が女だったら多分喜んだかもしれないが。同居しているインド人にも見た目が若いと言われてしまった(そして多分なめられている)し、俺は本当にガキ臭い野郎らしい。着実にスネークとかローランドみたいなおっさんになる道を辿っているとばかり思っていたのだが、どちらかと言えば今のところ吉岡清十郎寄りの道を辿ってしまっているらしい。