2011年2月28日月曜日

セル 感想

 S・キングのセルを読んだ。いつも通り簡単にあらすじを紹介しておくと、たまたまボストンに仕事に来ていたクレイの目の前で、携帯電話を使用した人が突然暴れ出し、偶然出会ったトムとアリスと共に、暴動を続ける「携帯人」達から逃走していく内に、やがて事件の真相を知る・・・という話である。
 アイデアと設定がまさに現代小説にぴったりだと言える。発想としてはジャンプで連載されていた魔人探偵脳噛ネウロに登場する「電子ドラッグ」が本作における「パルス」に近い。また、仲間と共に銃器でモンスターと化した「携帯人」と対峙するという構図は、キング自身のダークタワーシリーズに通ずるものがある。クレイとローランドは(天地の差があると言えるほど)全然違うものの、ジョークを絶やさないトムとエディ、覇気のある女性であるアリスとスザンナというメインキャラクターについては、人格的に符合する部分があった。
 肝心の感想であるが、面白いがこれがキングの作品としてオススメできるとは言えない。ところどころ描写が大雑把になっていて、ダークタワーのような作者自身の病的なまでの愛情ではなく、着想自体の面白さに作者が引きずられて書いているように見えた。特にアリスの扱いに関しては最後に無理矢理意味を持たせたように見えてならない。中間部の彼女に関する一連の描写はまるまる削っても良いぐらい(本来的には)無駄だった。また、キングが書いている以上に事態の深刻さを読者が想像できてしまう設定なので、どうしても描写が足りていないように見られてしまうと思う。
 また、(今作に限られるわけではないが)今作においてはキングお得意の登場人物が感じる「繊細な恐慌状態」の描写が個人的には気に入っている。キングの作品においては登場人物の「恐怖」、「恐慌」といった状態は「今にも心が折られて気絶するかしないかの瀬戸際の状態」として描かれることが多い。今作においても特にアリスやジョーダンなどの思春期の不安定な人格が、こういった絶望的な状況でいかなる反応を見せるのか、ということをよく頭の中で考えて描かれていると思う。

2011年2月24日木曜日

骨の袋 感想

 S・キングの骨の袋を読了した。いつも通りかなり簡単にあらすじを紹介しておくと、妻を脳卒中で亡くした小説家マイケル・ヌーナンが小説が書けなくなり、4年間ひきこもりのような生活を続けた後、キャッスル・ロックのセーラ・ラフスという別荘で療養しようと考えてそこを訪れるのだが、そこで少女カイラと偶然出会い、彼女の監護権を彼女の祖父マックス・デヴォアという、性格が最悪の祖父が狙っていることを知って、それを防ぐために彼女の母親であるシングルマザーのマッティーと協力して法廷闘争を繰り広げ、やがてその闘争の裏にセーラ・ラフスと周辺の町に住まう亡霊が存在していることを知り、亡霊との過去の隠された憎しみを巡る戦いをしていく・・・という話である。
 今作が他のキングの長編と区分されるとすれば、用いられている小説作法として、前回紹介したクージョなどに明確に現れているような、彼お得意の群像劇ではなく、あくまでマイケル・ヌーナンという主人公の1人称の視点で物語が展開していく点にある。例えて言えば、ITやキャリーが複数の登場人物を複数のカメラを使って映していた物語であったのに対し、今作はあくまで主人公を1つのカメラを使って映して描かれた物語であると言えるだろう。その分読者は彼の「主観での葛藤」を通じた感情移入は勿論しやすいし、他の登場人物の行動も1つの物語上の謎として読者の想像力を刺激するように作られている。
 今作で目を見張るべきは、やはりキングの本領発揮とも言えるホラー描写である。一応は人間との現実的な戦いも描かれるが、それ以上に亡霊(達)との抽象的な争いが見所である。何より彼は亡霊を亡霊ではなく人間らしく描くので、読んでいる方はかなりリアリティを持って読めるのではないかと思う。映画化の話も持ち上がっているようだが、キングの描く文章上のホラーに現実世界の映像技術が追いついていないので他のこけた映画と同様多分これもこの点でこけるということと、上述したような「主観での葛藤」を映像化できない以上、映画という手法自体がそもそも向いていないという性質を持っているので多分失敗するだろう。
 1つ残念だったのは、推理小説で言う「解決篇」的なエピローグを彼が書いてしまった点である。多分一般の読者の希望には応えているだろうが、小説としては俺は構成上の美しさを感じられない。具体的に言えばフランク・ヌーナンという、利益関係外的な「都合の良い聞き手」を無理矢理登場させて中立的な立場から事件の謎を聞く役目を負わせて、無理矢理最後の20ページ足らずで全ての伏線を回収させた作業は蛇足に感じた。「ジョーは俺の妹だったんだぞ」とか、そもそも物語上の核心をめぐる戦いに参加していない人物に感情論を打たれても(「俺もそのことには非常に関心を持っているんだよ。まあ俺は関係ないんだけどね」みたいな感じで)不自然だし、あざといだけだと思う。
 また、個人的な感想として、今作におけるマッティーという、「主人公といい感じの関係になりそうな人物」の描き方は非常に上手かったと思う。途中で多くの男性読者はキングをぶん殴りたくなるかもしれない。

2011年2月22日火曜日

ソード男子 (3)

 「まず聞きたいんだけどさ、何でお前俺を殺そうとしたの?」僕はうつぶせのまま無視することにした。どうせ自殺するつもりだったし、こいつの機嫌を損ねて結果的に殺されることになったとしても、それはそれで良いと思った。
 「だってさ、はっきり言って意味分かんねえし。お前全く初対面じゃん?俺と?まあ最近だと誰でも良いって奴も居るからお前もそうなの?」僕は何も答えない。殺せよ。うんこ野郎。
 「・・・へぇ~お前何も答えないし、何も喋らない気でしょ?俺がお前をぶっ殺してやるとでも思ってんの?ちょっと待ってな。いいもん持ってきてやるから。」赤髪シンジ(仮)は僕の傍を離れて行った。何を持ってくるんだろう?
 赤髪シンジ(仮)が帰ってきた。彼の足の重量が僕の耳の横にある畳を押しているのが分かる。
 「これさぁー村上春樹の小説で見たんだけど、実際相当苦しいらしいからちょっとお前で試してみるわ。」赤髪シンジ(仮)がうつぶせに倒れた僕の両手を縛りながら言った。なるほど、何か使って僕に無理矢理何かを喋らせる気らしい。まあ、僕にとっては丁度良い。死のうとしてたんだから大丈夫。
 「『海の底を歩くような気分』になるらしいよ。お前歩いたこととか無いでしょ?多分?はは。まあ当たり前か。えいっ。」赤髪シンジ(仮)は僕の頭に何か被せてきた。そして僕の首の上からかぶせたものごと僕の首を紐みたいなもので縛った。ビニールの臭いがする空間に僕の体温が充ちた。彼は袋詰めにされた僕の顔に自分の顔を触れるように近づけた。
 「お前さぁ?もしかして全部諦めようとしてたんじゃねぇ?自分で死ぬとか、学校止めるとかさ。その類の諦め。」赤髪シンジ(仮)が少し強く僕の首を絞めた。苦しい。
 「でもさぁ、こういう諦めができる奴って結局ただの『怖いもの知らず』なんだよな。自分の行動の結果に対する想像力が足りてないんじゃないのかなぁ。」かなり苦しくなってきて僕は溜まらず組まれた腕に力を込める。
 「ほら?もがいてるじゃん?このまま続けたら死ねるよ?和ちゃん?」かなり苦しい。涙と鼻水が出てきた。
 「それはやっぱり『悪』だよねぇ?悪いことだよ?それは。理解から逃げたまま、自分や誰かを『損な」うんだから。お前には『具体的な理解』が欠けているんだよ。今生きてる自分が背負う痛みや苦しみについて、『死んだお前』や『損なわれた未来のお前』、『お前じゃない誰か』が負う『はず』の理解しか持ってないんだよ。お前は。」僕は縛られた両手をばたばたさせながら、相当な苦しみを味わっていた。目から涙が頬を伝って流れ、ぐじゅぐじゅの鼻水は僕の鼻から大きく開かれた口に入り込んで塩気のある味をさせていた。
 「俺はお前が今を理解しないことを許可しない。」赤髪シンジ(仮)がそう言うと縛りが少しゆるくなり、顔に触れていた彼の重量が消えた。僕は再び僕の中に入ってきた空気を死に物狂いで吸い込んだ。と、吸い込んだとたん、再び首の圧迫が強くなり、僕はまた苦しみの渦の中へ入った。赤髪シンジ(仮)は再び僕の顔に自分の顔をくっつけた。
 「俺はお前にお前が本来負うべき苦しみを『今生きているお前の苦しみ』として気付かせてやる。具体的に理解させてやる。『死んだお前』や『損なわれた未来のお前』、『お前以外の誰か』じゃなく、『今生きているお前』に。はは。いやマジなんでな?俺はこの作業を必要に応じて機械的に10時間以上継続することが可能だし、お前は『今生きているお前』から逃れることができんよな?はは。」
 赤髪シンジ(仮)は容赦なく僕の中から再び空気を奪って行った。そして容赦なく僕に空気を与えていった。
 

2011年2月18日金曜日

ソード男子 (2)

 目を開けると見知らぬ天井が見えた。「見知らぬ、天井。」エヴァかよ。あれも途中で観るのやめちゃったんだよな。意味が分かんないし。主人公がクソ人間の癖にけっこうかわいい感じの顔してるのがむかつくし。結局いい人生を送りそうなんだよな。僕が意味の無いことを考えながら横に顔を向けると胡坐をかいて炒飯を食べながらさっき殺そうとしたDQNが僕を見ていた。
 DQNは傍らにノートパソコンを置いてファンタを飲みながら炒飯をスプーンで口に運んでいた。「おー起きた。結構人って簡単に意識失うんだ。漫画みてえ。」DQNはしゃぐしゃぐ炒飯を口に運び続けた。髪は昔のロンブー淳みたいな色だが、顔は正面から見るとさっき想像したクソ主人公みたいな顔をしていた。炒飯は半分ほど皿から無くなっていた。
 「お前さぁ。さっき俺殺そうとしたでしょ。」DQNがスプーンを動かす手を休めて突然聞いてきた。僕は無言だし、無言以外にどうしようも無いなと思った。「飲む?これ。」DQNが蓋を開けたままのファンタ(グレープ)を差し出してきた。僕は4分の1ほどの残量になった紫色の液体を見ながらどうしようかと思った。目の前の赤髪シンジ君(仮)に何て言っていいか分からないし、ちょっとまだ気分が悪いし、そろそろ意識がはっきりしてきた分ここがどこで今がいつかとか知りたいし、電車にはねさせようとした相手が何で僕の前に居るのか分かんないし、こいつに何されるのか不安だし、ファンタはグレープ(笑)より断然オレンジ派だし、こいつの飲みくさしを何で僕が飲まないといけないのか分からないし、多分逃げた方がいいと思うし、何より家に帰りたい。全部忘れたい。
 考えた結果逃げたくなった僕は、ざざぁっとかかっていた布団を相手にぶつけて体を起こして逃げようとして後ろをふり返って走り出したが、とたんにががぁっと前につんのめってこけて顔面を畳にぶつけてしまった。顔が痛い。
 「何すんだよお前。シャツびしょびしょになったろうがクソが。あーもうキーボードにちょっとかかってんじゃん。お前これファンタ満タンの状態だったら死んでたよこれ。」赤髪シンジ君(仮)の声が聞こえるがこの後の展開が怖いので起き上がれない。足がどこかに繋がれているのか。何が何だか全然分からない。
 赤髪シンジ君(仮)はTシャツの腹の部分を紫色に染めたまま、僕が顔を伏せている所まで歩いてきて屈んだ。畳越しにこいつの足の重量を近くに感じる。ホントにダメな展開だこれは。ダメ過ぎる。何されるんだろうか。
 「お前さ、やっぱちょっとおかしいって。お前おかしいよ。ほんと。普通警察に引き渡されて終わりなんだけどな。ほんとは。でも俺って曲がったこととか許せないじゃんか。どうせ警察とかに行っても形だけ怒られるだけだろうし、俺の見た目とかさ、お前じゃなくてお前の外の状況とか考えられて結局なあなあで済まされそうな感じじゃんか。いや俺が坊ちゃん刈りでスーツ着たおっさんだったらお前捕まったりするかもしんないけどさ。でもお前が殺そうとした奴が俺だからさ、結局お前も今日のこととか無かったことにするんでしょ?それじゃやっぱり問題解決にならないからさ、お前友達ってことにして気失ってたお前おんぶして俺ん家まで運んで来たんよ。」
 僕はこいつの話を聞きながらこいつを殺そうとしたことを後悔した。めんどくさそうだ。そこら辺の奴を殺して自殺するだけの話だったのに。苛々する。あと多分僕はちょっとほっとしてる。苛々する。
 「お前運んで来るの結構大変だったし。だって周りの奴とかお前が俺を突き落とそうとしたの見てるからさ。いや、まあお前が俺にぶっ飛ばされる形になったんだけどさ。結局は。はは。結構吹っ飛んだなお前、俺に蹴られてさぁ。ちょっと俺もやばいかなとか思ったんだけどさ。でもまあ人殺そうとしてたんだからいいよな。ぶっ飛ばされても。それでさ、『あ・・・わり、大丈夫か拓也!!』とか叫んでさ。まあ拓也じゃなかったけど。はは。でもかすってたなお前。受験票の名前見たら「や」だけあってたし。そんでばばっ!てお前をおぶって真剣な顔して走って俺の家に家に運んだんよ。でもさ、多分お前頭・・・というか性格やら人格やらがとりあえず終わってそうだから逃げようとするんじゃないかと思って昔飼ってた犬のリードでお前の足くくったんよ。南京錠とか付いてるから気付くと思ったんだけど、お前やっぱり馬鹿だったな。気付かずに頭から突っ込むしな。」
 僕は話を聞きながら畳に顔を伏せたまま両足首にある感触を確かめた。確かに繋がれている。何で気付かなかったんだろう。
 「まあ、多分これ何かの縁だと思うし、俺がお前を改心させてやるわ。」そう言うと赤髪シンジ(仮)は僕の傍から離れていった。ドアを開ける音がしたので僕は顔を上げて部屋の入り口の先に続く廊下を歩く赤髪シンジ(仮)の剥き出しの背中を見た。僕はこいつが背を向けている間に後ろを振り返りリードでくくられた足首を見てがっかりした。リードとか言ってたから普通のゴム紐みたいなものかと思っていたけど、がっしりとした革でぐるぐる巻きにして無理矢理挟むような感じで南京錠がかかっている。リードはクローゼットの後ろの僕の居る場所からは見えないところに繋がれていた。引っ張ってみたがびくともしない。
 「お前ってさー勉強とかできんの?代ゼミの模試受けに行くつもりだったんでしょ?結構俺らが居た場所から遠いとこの代ゼミだったけど。」
 廊下越しに僕は周りを見回した。かなり殺風景な部屋だ。さっき僕が投げた掛け布団が何も乗っていないテーブルの上に半分乗りかかっていた。畳の上にノートパソコンが1台とその隣に食べかけの炒飯、そして空になったファンタのボトル。刃物は見当たらない。
 「あーお前逃げる方法考えてたんじゃねぇ?あはは。無理無理。リード切ろうとしたら俺またお前ぶっ飛ばすし、このボロアパート俺以外住んでないから誰も来んよ。まあじっくり話し合おうや、和ちゃん。」僕が声のする方を振り返るとにやにや笑いとTシャツに印刷された"I have a dream"の文字が見えた。

2011年2月15日火曜日

路面電車にて (2)

 純子は向かい側の誰も座っていない座席越しに薄暗い外の景色を眺めていた。電車が的場町や稲荷町の電停で停車すると、青年がゲーム機のボタンを押すカチカチという音だけが車内に響いた。乗降者のためにドアが開く度に手の先の方に冷気を感じたが、純子は毎日繰り返されるこの状況に慣れていた。
 「純ちゃんじゃねぇか。元気にしょーるんか」八丁堀の電停でなじみの老人が乗車してきた。「おはよう巧さん。寒いよ。今日は。」「あんたがそこに座っとるからじゃろうが。もっと真ん中に寄れや。」「そうかなぁ。」純子は横に伸びた座席の丁度中央に場所を移しながら、この老人は今日も矍鑠としていると思った。老人は両手をポケットに突っ込んで大きなあくびをした。
 「また今月も通院なんか。」「そうじゃ。毎月行っとるんよ。検査じゃって。」「大変じゃのぉ。」「あんたも海田よりもっと向こうから毎朝電車に乗って来よんじゃろ。ようやるな。」「うちは仕事じゃけ。でもこんな朝早うに起きるんは大変じゃろ。仕事でも無いのに。」「いやいや。わしはの、朝から焼酎を開けて来ようるんよ。」「朝から何しようるんよ、あんたは。アル中じゃねぇか。」「いやいやわしは毎朝1本は開けとるけど何もないんよ。きゅーっとしてなあ。」「アル中じぇねえか。」「ならんならん。全然ならんで純ちゃん。アル中とかになったことがねぇんよ。」巧が声を立てて笑った。
 純子はこの笑ったときにくっきり若々しいえくぼができる老人のことを好いていた。裏表が無い人だと思っていた。このところどころに染みのできた老人の頬に小さな窪みのような穴ができるのが好きだった。「あんたこの飴食ったことあるんか。」巧が赤い飴玉を差し出してきた。「何よ、それ。」「わしが子供の頃からこれあった奴でなぁ、ずっと舐めとるんよ。」「いらんよ。」「そうかぁ。」巧は飴をほうばり、口をすぼめた。
 「わしが小さかった頃はなぁ、まだこの辺は何も無かったで。アメリカの爆弾で焼かれてから皆掘っ立て小屋みたいなようところによう分からんまま住んどってなあ。これからどうすりゃあって、毎日言っとったで。」巧は鼻の横をさすった。「聞いたことあるわ。そんな小屋で暮らしとった人がいっぱいおったって。でも広島も大分変わったよ。あたしが来るようになってから。」「純ちゃんはずっと広島じゃないんか。」「いや。中学ん時にうちの親が別れよってからなぁ。それからお母さんの実家がある海田に来たんよ。高校も広島じゃった。」「いや、あんた広島の言葉話すけぇ広島の生まれかと思っとったけどなぁ。」「そうかぁ。京都よ。生まれは。」「ほんまかぁ。全然似合わんのになぁ。ほんまに似合わんわ。」「知らんが。」
 「仕事はいつまでやりょうるんな。」「うん~8時ぐらいから夜は9時までじゃな。」「一日じゃが。大変じゃなあ。何かする時間あるんか。そんなんで。」「いや帰ったらすぐ寝るんよ。疲れとるし、明日も早いけぇの。」「大変じゃなぁ。あんたも。」「あはは。仕事じゃけぇな。」

2011年2月14日月曜日

「坊やだからさ・・・」

 この前付き合っている彼女の誕生日だったので、アメリカに長い間行くかもしれないからこの際たまにはちゃんとしたアクセサリーを買ってプレゼントしようと思い、三越の1階にあったティファニーへ行った。

 (いろいろな意味で)撃沈した。


 金額的にはまあ高いけど1万6千円ぐらいで買えるやつもあるのだが、「俺がくたびれたダウンジャケットを着てブランド店を覗いてアクセサリーを品定めしている」という状況を客観的に想像してしまって、ショーケースを見ながら笑いが止まらなくなり、これはやばいと思って店を出たのだ。
 その後も違う店だったらこんなに変態の表情を浮かべないんじゃないかと思っていろいろなブランド店へ足を運んだのだが、行く先々でにやにや笑いが自然に浮かんでしまい、買うどころか品定めすることすら無理だった。しまいには変態顔が見えないように腕で口を覆って歩かなければならない状態になった。完全な不審者である。
 多分、西部警察の大門のようなサングラスをかけて白いスーツを着てバーで1人で飲むような人間にならないと俺は女の子にアクセサリーを贈ることはできない。無念・・・!

2011年2月8日火曜日

路面電車にて (1)

 純子は路面電車へ乗り継ぐために歩いていた。師走も暮、大晦日も近づいている今日、今年最後の出勤をしていた。駅までの電車の中で既に小便は済ませていたが、寒さのせいか再びかすかな尿意を催していた。駅から路面電車までは歩いて5分もかからない距離である。純子は暖房の効いた路面電車の中に入れば尿意は解消されると考えていた。広島駅のトイレはそれなりに汚いことも純子の脳裏をよぎっていた。
 電停にたどり着くと、純子はいつも通りロータリーへと続く道から見えるさびれた建物へ目を移した。周囲にはパチンコ屋があり、かなり早朝だがロータリー内は多くのタクシーが赤いテールランプを光らせながら停車していた。電停で待っているのは純子以外には誰も居なかった。市役所へ停車する1番の電車を待ちながら、純子は両手をポケットに入れて暖めた。
 純子はいつもあの古びた建物には誰か住んでいるのだろうかと思案していた。毎日出勤途中に見るものの、あの通りを歩いたことは無い。純子は広島の清掃会社で働くようになり、もう10年ほどになる。勤め始めた頃は日本の景気は急落の一途を辿っていた。駅前の風景はこの10年で変わり、新しいパチンコ台や携帯サイトの宣伝をする看板が建てられた。近年だと毎朝「最近、恋してる!?」というけばけばしいピンク色の看板が目に入るようになった。しかし、あの古い建物は何年経っても古いままである。「ようこそ広島へ」という看板も純子と毎朝対面していた。純子は看板を見るたびに看板に書かれた「ようこそ広島へ」という文句を心の中で反芻して、少し楽しい気分になっていた。今日も1日が始まろうとしていた。
 しばらく待つと、路面電車ががたがた音を立てながらこちらへやってきた。純子がいつも乗る電車の時間帯だと、かなりの確率で旧型のタイプの電車に乗ることになる。もっとも純子は快速電車のようなはっきりした外面の新型車よりも、表面が燻っているような旧型車の方が気に入っていた。純子にとっては旧型の燻った外面に、向かい合う形で設けられたオレンジ色の座席が路面電車のイメージであった。
 電車の最前面にあるドアが空気の抜けるような音を立てて開くなり、純子は路面電車へ乗り込んだ。一番乗りである。数秒後に黒いダウンジャケットを着込んだ童顔の青年が乗り込んできた。それに続く形で紺色のジャージを着た老人が入ってくる。違うドアからは髪を後ろで結った中年に差し掛かった女性が乗り込んできた。全員それぞれ寒そうななりをしていた。
 相手はどうか知らないが、純子はこういった「いつもの面々」が路面電車に乗り込んでくることに安心感を持っていた。時々誰か居ない日があると、仕事中もそのことを思い出し、明日は乗ってくるだろうか、と心配になった。純子にとっては彼らも路面電車の一部だった。青年は前に抱えた鞄から携帯ゲーム機を取り出し、老人はジャージの左ポケットから単行本を取り出し、女性は手を組み合わせて目をつぶる。これが純子の朝だった。
 
 

2011年2月7日月曜日

エジプトのスネ夫と世界のジャイアン

 現在各メディアで頻繁に取り上げられている通り、エジプトの情勢がかなり不安定になっている。外務省の海外安全ホームページも、いつもの例にならって「渡航の延期をお勧めします」と注意を促している。これまたいつも通り現地に突撃したこのブログで何回か登場したアンダーソン・クーパーがボコられる事件も発生している。360°では安全のために滞在先では窓のカーテンを閉め切ったり、暴動がひどくなると滞在先自体を頻繁に変えるなどの措置を取っていると報道されていた。
 この暴動の根本原因は(評論家の皆さんはチュニジア政変の影響やエジプト国内の経済情勢にも触れたいだろうが)一言で単純に言ってしまえばムバラクを中心とした政府の圧政である。具体的な例を挙げると1981年以降実施されている政府緊急法という悪法がまず目に止まる。この法律ははっきり言って時代錯誤もいい所の昔の日本の治安維持法みたいなもので、現在国際社会で隆盛を極めている自由主義、民主主義といった価値観に真っ向から反発するものである。なので、時代の潮流からすればこういった悪法を実施するろくでもない政権が打倒されて新しい国民に開放された政治体制になっていくんだろうな、ということは誰でも分かる。まあ頑迷固陋な主張を振りかざす「フリ」で中身は腐敗に満ちた権力欲・金銭欲でいっぱいの多くの「ジャイアン」(実際はジャイアンよりよっぽどたちが悪いが)たちは知らんぷりを決め込むことに全力を注ぐという不毛な努力をしているようだが、まず展望が無い。
 それではこうしたジャイアン達が展望が無い中どうやって頑張ってきたかというと、それはもっと大きなジャイアンであるアメリカにへこへこしてスネ夫の役割を演じることだったのだ。アメリカの理念は国際政治の側面で二面性を持っている。1つの顔は自由と民主主義の拡大であり、もう1つの顔はこうした理念の共有以上の具体的な覇権の拡大である。最近行われた中国の首脳との会談で「人権」という言葉で何度も主張された通り、アメリカは政治信条として自由と民主主義の拡大を基底に置く。その一方で、アメリカは冷戦期以後依然として「世界各国が親米派で埋め尽くされればいいな」という幻想も抱いている。新しく誕生する政権は「できれば」親米であれば良いし、新しく誕生する国のトップは「できれば」親米であれば良いと思っている。そして親米であれば「まあいろいろ政治主張はあるんだろうけど、仲良くしてくれるんだったらいいよ」という態度を取り続けている。ムバラク達スネ夫はここに目を付けて、実際は自由や民主主義に全く反する政策を実行しながら、アメリカという「世界のジャイアン」への支持を明言することで国際社会における批判を回避してきたのだ。
 今回のエジプトにおける暴動に際して、2つの顔の内、表の顔で「民主化への移行」を促しているオバマ政権は、内心エジプトに新しく生まれるであろう新政権がどうなるかひやひやしているだろう。自由な選挙をやってみたら反米イスラム原理主義者がリーダーに選ばれる可能性もあるからだ。そして皮肉なことに、自由と民主主義を守るための「テロとの戦い」という文脈においてこそ、ますますジャイアンにとってのスネ夫の価値は上がっている。

2011年2月4日金曜日

病院への道程 (終)

 ハサンは仰向けにシートに倒れてもがいていた俺の左手からナイフを抜いた。車内の乾いた空気に俺の絶叫が響く。ハサンは俺の足を抱えたまま、容赦無くもがく俺の左肩にナイフを突き立てた。焼け付くような痛みが走る。ハサンは荒々しい息遣いのまま、更にナイフを抜き、逆手に持ち替えた。
 こんこんこんこん。俺の後ろで音がした。「すいませーん岡山県警の者なんですけど」ハサンは俺を突き刺そうとする手を止め、そのまま後ろを振り返り、ドアを開けた。開け放たれたドアから冷たい風が車内に吹き込んできた。そして、そのままハサンの姿は俺の視界から消えた。背後の方で男の叫び声と足音が聞こえる。
 俺はシートからゆっくりと体を起こし、前方に見えるクリーム色の壁を見た。右手で押さえた肩からは血が流れて止まらない。太陽で照らされたクリーム色の壁には少しだけ、影が差し込んで来ていた。

(了)

2011年2月1日火曜日

病院への道程 (2)

 ハサンは同じ動作を5回ほど繰り返して車内に戻った。大きな瞳は相変わらずきらきらしていて気持ちが悪い。俺は窓ガラス越しにさびれた路地を見ながら車内で煙草を吹かしていた。理事長なんかもう知ったことか。それどころじゃない。この監獄みたいなタクシーを粉々にぶっ壊せればいいのにと思った。
 俺は頭を働かせた。どの道逃げなければならないのは明白だが、どうやって逃げるのかが問題だ。ハサンはどうなのか知らないが俺は前科者だ。かなりやばい橋もいろいろ渡っている。指紋を取られれば簡単に俺が車内に居たことはばれるだろう。このくそタクシーをこのままにしておくことはできない。かといって、タクシーを運転して遠くに逃げるなんて論外だ。どこで検問に引っかかるか分からない。
 何より俺にはそれ以前の問題があった。俺は車の運転を教習所以降一切したことが無い。俺より下の連中にも黙っていることだが、俺は筋金入りのペーパードライバーだ。どこがアクセルかも怪しい。
 俺は謎の礼拝以降一切の言葉を断って前方のシートの背を見つめ続けているハサンを見た。こいつは免許を持っているのだろうか。免許を持っているかは別にして、車の運転自体できるのか。せめて言葉を自由に交わすことができればいいのだが。ハサンの厚ぼったい唇を見ていると、だんだん先程の破壊衝動が蘇って来た。何なんだよ。こいつは。何で黙ってる。こいつ。何か喋るまで殴り続けてやろうか。
 その後10分ほど黙々と打開策を考えていたが、考えれば考えるほどハサンに対する憎悪で心が埋め尽くされていった。何でこんなにこいつが憎いのだろう。本当にめちゃくちゃにしてやりたい。何だ、こいつは。言葉に不自由したら黙ってれば自分を正当化できるとでも思ってんのか。こいつ。日本では何もできないくせに。お前の言葉なんて誰も理解できねえよ。お前なんて誰も理解しようとしねえよ。子どもみたいな顔しやがって。俺がお前をめちゃくちゃにぶっ殺したいと思ってるなんて分っていないくせに。薬を売ってるくせに何が宗教だ。堅気じゃないのに神にすがってんじゃねえよ日和見野郎。
 俺の顔は俺の内部に貯められた怒りで強張っていた。ハサンは掌を掻いたり左の窓から外を眺めたりしていた。俺の手は既に懐の中のナイフに触れていた。竿竹屋の宣伝音が遠くに聞こえる。そろそろ会社員だったら昼食から帰る頃合だろうか。
 俺は懐からナイフを取り出しながらハサンの方を向いた。俺がハサンの方に正対しきらないうちに顔に正面から鉛のような質量の衝撃を受けた。俺はドアに叩きつけられてそのまま床に頭から投げ出された。右手から折り畳まれたままのナイフが落ちる。何が起ったのか把握できないうちに続けて2つ目の鉛が右頬を打ち、ゴムのような床に叩き付けられて歯で口内が切れる。体勢を立て直そうと掻き毟っていた左手に先ほどのものとは比べものにならない痛みが走り、絶叫する俺に正面から3つ目の鉛が当たった。殺される。揺らぐ視界の中に先ほどの幼さからは想像できないハサンの冷たい表情が見えた。
 俺は俺に馬乗りになろうとするハサンの鳩尾辺りに足の裏を挟ませ、思い切り蹴り飛ばした。ハサンがうめきながらドアにぶつけられる。鼻から口にかけてべとべとした感触を感じる。俺はそのまま足でハサンの胸を強く、強く押し付けながら左足でふんばり、喘ぎながら上体を起こした。シートにナイフで深々と磔にされた俺の左手が目に入る。俺はさらに右足の裏でハサンの胸をめちゃくちゃに蹴った。ハサンがうめき声を上げる。俺は攻撃の手を緩めずにがしがし蹴り続けた。ハサンが手で俺の足を掴み、掬うようにして右腕で抱きかかえ、左腕を磔にされた俺の左手に伸ばした。