2010年11月2日火曜日

いじめについて

 ここのところAC360°でも日本のメディアでも同時期に「いじめ」の問題が取り扱われている。アメリカではゲイの少年達がクラスや仲間内でそのことを晒し者にされて自殺、日本では小6の女子がクラス内のいじめを苦に自殺している。
 いじめの問題はかなり根深く、文字通り世界中に存在する。プロの力士でも、商社でも、学校でも、大学でも、サークルでも、どこでもいじめが存在している。
 個人的には「いじめ」という言葉は実はその現象の正確性を欠き、また実体を覆い隠して人々に感得させることに貢献している言葉だと考える。その傾向は「学校」という部分社会でいじめが発生した場合に顕著である。例えば、小6の女子がクラスで無視などではなく、より積極的な行為によって心身にダメージを負う行為は小・中・高(もしかしたら大学も)おしなべて「いじめ」という言葉で表現されるのに対し、某相撲部屋の力士がボッコボコにされて死亡した事件は、「犯罪行為」として扱われた。どちらも客観的には「同一の集団内部で、優位に立つ個人や集団が、立場が弱い者に身体的・精神的苦痛を与える」という「いじめ」にも関わらず、である。
 したがって、小・中・高で「いじめ」が発生するたびに謝りに出てくる校長、教頭、指導教員などは、実際は「多数の人員からなる集団による脅迫、暴行、傷害、殺人(たとえ教唆の結果として自殺した場合であっても、物理的・心理的な行為によって当事者にやむを得ないほどの自殺の必然性を自覚させた場合は自殺教唆ではなく、殺人罪の構成要件を満たす)行為によって校内、あるいはクラス内に死亡者が発生した」とは決して説明しない。「いじめ」という言葉でこうしたれっきとした犯罪行為が覆い隠されてしまう。
 さらに腹立たしいのは、こうした「いじめ」という言葉で実体が覆い隠される結果、上記した脅迫、暴行、傷害、殺人に加担した裁判所で処理されるべき多数の「犯罪者」達が全く裁かれることなく、ぬくぬくと育ち、友達と遊んで、進学をして、就職して、異性と付き合い、家庭を築き、幸福な人生を全うすることである。「いじめ」が発生する度に謝りに出てくる校長などはお門違いもいいところである。本当に陳謝しなければならないのは、集団による犯罪行為に加担した生徒全員だろう。「いじめによる自殺」が、客観的には殺人行為である以上、殺人者達にはサンクションが与えられなければならない。本来なら、今回のような事件が起きた場合は、メディアの前に出てくるのは女児のクラスメイト(というか殺人者達)で、彼ら彼女らは地面に頭をこすりつけて泣きながら陳謝し、女児を失ったことで生じた遺族の苦痛を和らげるために損害賠償を共同で支払い、一生「殺人者」として女児を集団で殺害したことを死ぬほど悔恨しながら生活すべきなのである。
 また、いじめの問題を学校側の過失かどうかを問う定番の「いじめに気付かなかったのか」「いじめに対して十分な措置を学校側が取ったのか」という質問も、全く問題の本質を理解していない馬鹿な質問である。こんな質問、全く回答する意味が無い。なぜなら、いじめは天災ではないし、いじめに気付きながら対応できなかった場合も、いじめに気付けなかった場合も、「私達は教育能力が劣っています」という事実しか示さないからである。いじめによる自殺は一般企業なら校長・教頭・担当教諭は馘首されてもおかしくないほどの失態である。弁明の余地など本来自殺者が出た段階で存在しようが無い。
 こう考えると、やはり学校という部分社会が、都合の良い時だけその社会性を持ち出して、都合が悪くなるとその社会性を「学校」という枠で区分して逃げていることが根本的な問題のように思われる。今回の小6の女児がいじめを苦に自殺したケースにおいては、下記のプロセスを踏むことが「社会の縮図」としての学校にふさわしい。

  1. いじめという犯罪行為に関わった生徒全員が直接被害者遺族に深く陳謝をする。陳謝しない場合は行政あるいは教育委員会が強制執行させる。
  2. 被害者遺族が被害者の死亡によって被った損害回復のため、加害者生徒は全員共同で基金を作り一生かけて損害賠償金を支払う。賠償額は民事訴訟上の相場に則って決められるが、その額を支払うことができるのは、加害者生徒が定職についた後であり、また加害者生徒自身が支払う必要がある。
  3. 当然加害者生徒全員が即座に家庭裁判所の処分の対象となる。
  4. 学校は教育能力の無い校長、教頭、担当教諭を全員解雇する。
  5. 学校はいじめ防止プログラムを作成・実施する。具体的にはいじめは集団による脅迫、暴行、傷害、殺人行為であり、非生産的で時間を無駄にする行いでしかなく、社会的に全くの無価値であり、加害者全員は共謀共同正犯として裁かれ、矯正されるべき社会の害悪に他ならないことを理解するまで説明する。
  6. 学校名は公表されると共に、5年ごとに上記プログラムの実施達成度を行政に報告しなければならない。達成度が基準に満たない限り学校名は延々公表され続ける。

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