2010年9月30日木曜日

劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- 感想

 機動戦士ガンダム00の劇場版を観た。一言で感想、というかはっきり言ってしまえば苦言であるが、個人的にはもうガンダムという作品で無理して平和を語ることを止めた方が良いと思う。
 21世紀になってから作られたガンダムは、SEEDと00両方、あざといほどに「僕らは戦争してるけど平和が大切なんだ」というメッセージを発しようとした作品だった。00に至っては本来的に殺戮兵器としての機能が第一義的なガンダムに、対話のための機能を持たせ、戦いを止めるための武力介入から、ついには戦いを止めるための非暴力的介入が語られるようになった。
 個人的な感想を言わせてもらえば、このコンセプトの転換こそが根本的な失敗の要因であったと考える。上述したように、作った人間の頭の中では(多分できていないが)上手く整理されているのかもしれないが、観ている側の人間にとってみれば、紛争が発生した文脈において、殺戮兵器を用いて、対話によって紛争の解決を図る、という構図は、全く共感し難いものである。なぜなら、S・キングの言葉を借りれば、この設定はリアルでもなければ、フェアでもないからだ。カリカチュアライズすればもっと明確に分かる。例えば、アフガニスタンの武装勢力と、アメリカ軍の抗争に際し、特別加工され、発砲する(もっと馬鹿みたいな表現をすれば00の様に光を発する)ことで対話のためのフィールド設定をする「すばらしい銃」を用いて、英語の分からない現地武装勢力とアメリカ軍兵士の間に共感(それも100%内心を伝え合うことのできるレベルの)できるようにすることが、全く了解不可能であることと同義である。
 なぜこれが了解できないか。なぜなら、兵器を使って対話を計ろうとする点に、設定としての無理があるからだ。上述したように、ガンダムは兵器である。人を殺して、街を破壊して、他の兵器を破壊するアイテムだ。しかも00の世界においてはまさに兵器として合計50話ほど使われていた。ターンAのように日常生活でガンダムが本来的に洗濯などをしていたわけではない。もっと言ってしまえば、ターンAのような設定ですら、我々はガンダムが日常生活に要されるということを了解できないだろう。それはガンダムである必要がないからだ。戦闘する必要が無いガンダムは、ガンダムになり得ないのだ。なぜなら、戦闘をするガンダムが、本来的なガンダムの姿であったからだ。それが「機動戦士ガンダム」という、エンターテイメントの姿だったからだ。
 この劇場版のように「対話」を紛争解決の手段とするのであれば、刹那をガンダムに乗らせるべきではなかった。生身の彼が、特別加工された(馬鹿みたいな)拡声器を用いて(ホンヤクコンニャクでも可)そのまま話し合いに向かえば良かった。公式ホームページでも新しいガンダムを紹介する必要が無いし、ガンプラとして売る必要も無い。結果的に、本来の描き方をされなかったガンダムの映画は、部分的に美しい(が中身の無い)映像と音楽、ほとんど兵器としての本来の活躍の場が描かれなかった主役機、無駄な戦闘と、その無駄な描写のために削られた登場人物の姿に結実した。なるほど、これを新しい時代のガンダムとする人も居るだろう。ただ、それ以前にエンターテイメントとしてのコンセプトが全くまとまっていないことが問題なのである。
 より辛らつな批判を加えると、肝心の(この映画を作った人が何度も強調していた)「対話」は本当に薄っぺらいものだった。何でウェルズの宇宙戦争に出てきそうな極めて原始的な情報伝達機能を持つ相手の過去を知るだけで、それまで悪夢のように続いていた暴力が終わるのか?何より苛立たしいのは、対話の相手を言葉と知見の共有が殆ど不可能な原始生物にしたことである。このような人間以外の生物を対話の相手にすることで、全く未知の相手とでも(この映画を作った人達の定義する)(ほぼ100%納得のいく)対話を可能とするスーパー兵器00クアンタの機能をアピールしたかったのだろう。ただ、それはこれまでの50話を知っている人間からすれば全く矛盾した行動であった。こんな原始的生物の過去を知るだけでまったく「和解」が可能なら、なぜTV版最終話でそのスーパー兵器を使って、言葉も知見も共有可能なリボンズ・アルマークと対話させなかったのか。なぜ全面的な破壊活動を展開したという点では特徴を共有するエルスとリボンズが、一方は「対話できるかもしれない」とされて、一方は「歪み」と断定されて殺されるのか、意味不明である。映画でこんなことをするのであれば、刹那とリボンズにはもっと(製作者お気に入りの)「対話」とやらをさせればよかったのではないか。まあ上述したようにそもそも対話を紛争解決手段に置く以上、もうそれを考えた段階でガンダムは止めるべきだったと思うが。どちらかと言えばリボンズよりもこの作品の構図が歪んでいる。
 以上が俺の感想である。気持ちのいい映像と音楽を流して、声の美しい声優を使っていればどんなに中身が空っぽでもエンターテイメントとして成り立ち、万人に支持されて、みんな気持ち良くなるからそれでいいじゃん、という人はどうぞこの映画を観ていただきたい。そういった(麻薬中毒者のような)観点からはとてもいい映画だった。

 

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